絶歌 印税という言葉が、日本の出版界に落とした暗雲と倫理の亀裂は今なお塞がっていない。1997年に日本中を震撼させた神戸連続児童殺傷事件の加害者である元少年Aが、2015年に突如として世に放った手記『絶歌』。凄惨きわまる凶行の記憶を生々しく綴ったページから生み出されたマネーの行方に対する人々の憤りと不気味な関心は、決して過去の遺物ではない。
表現の自由の防衛か、それとも商業主義の極致か。出版界を二分したこの騒動において、関係者が一様に口を重く閉ざし続けた最大の火種こそ、絶歌 印税のリアルな総額と、それが遺族への賠償にどう充てられたかという不都合な真実だった。法制度の隙間をすり抜けた巨額の金脈は、誰の懐を潤し、被害者遺族に何を突きつけたのか。その内幕を追う。
推定1億円超?手記『絶歌』の印税総額と元少年Aの手取り
発売直後から全国の書店で売り切れが相次ぎ、増刷を重ねた手記『絶歌』。単行本の定価は1,500円(税別)、初版は10万部という異例の規模で刷られ、最終的な公称発行部数は25万部を突破した。出版業界における一般的な単行本の印税率は8%から10%。仮に10%の印税契約が結ばれていたとすれば、紙の書籍だけで単純計算しても3,750万円以上の印税が発生したことになる。
だが、話はそこで終わらない。発売から数年を経て、電子書籍市場での配信が水面下で利益を押し広げた。紙の本と異なり、電子書籍は印刷や流通のコストがかからないため、著者への印税率は15%から25%程度に跳ね上がる。Amazon Kindleをはじめとするプラットフォームで売れ続けたロングセラーの利益を加算すれば、発生した総印税は優に5,000万円を超え、関連の派生利益を含めた試算では1億円に迫る規模だったとの指摘さえある。
この巨額の金は、凶行を犯した元少年Aの個人口座へと吸い込まれていった。法的に成年に達し、医療少年院を仮退院した彼にとって、社会で孤立したまま生き延びるための「生々しい生活資金」となったことは想像に難くない。
被害者遺族への賠償金支払いは行われたのか?明かされた送金の実態
遺族の神経を最も逆なでしたのは、手記の出版計画が遺族側に一切知らされていなかったという冷酷な事実だ。事件から時を経て、民事裁判では加害者側に約2億円の損害賠償支払いが命じられていたが、その履行状況は極めて不透明なまま放置されていた。
関係者の証言によれば、出版によって手にした印税の一部は、元少年Aの代理人弁護士を通じて遺族側の指定口座へと送金、あるいは供託という形で支払いに充てようとする動きがあったとされる。しかし、被害者である土師淳君の父・土師守さんは、事前に何の相談もなく、子を奪った手口を詳細に書き連ねて得た金を受け取ることなど断じて受け入れなかった。
「息子の命を弄んで得た血の滲むような金など、到底納得できるものではない」
遺族側は受け取りを拒否し、手記の即時回収と絶版を強く要求した。賠償金の数字をいくら形式的に清算しようと、倫理を無視した送金劇は、遺族にとって新たな精神的凌辱に他ならなかったのである。
なぜ太田出版は批判を浴びてまで刊行に踏み切ったのか
凄まじいバッシングの嵐に晒されながら、なぜ太田出版は手記の上梓を強行したのか。当時の社長・岡聡氏は「重大事件を起こした少年の内面を社会に提示し、検証することは公共の利益に資する」という大義名分を掲げた。凶悪犯罪者がどのような思考回路で凶行に及び、更生とは何を意味するのかをノンフィクションとして世に問う価値がある、という論理だ。
だが、出版業界の内部からは冷ややかな視線も投げかけられた。雑誌の休刊や出版不況が底なし沼のように進むなか、確実に十万部単位の数字が見込める「劇薬」に手を出したのではないかという商業主義への批判だ。編集部と元少年Aとの間で極秘裏に進められた執筆作業は、遺族への配慮や事前の対話を完全に排除した密室劇であり、出版倫理の境界線を決定的に踏み越えていた。
「加害者の金儲け」を許さない米国のサムの息子法と日本の壁
この騒動を機に、法学者やメディアの間で激しい議論を巻き起こしたのが、米国に存在する「サムの息子法(Son of Sam law)」の存在である。凶悪犯が自らの犯罪を題材に手記を執筆したり、映画化権を売却したりして不当な利益を得ることを禁じ、そうした収益をすべて被害者遺族への補償基金に強制没収する法制度だ。
日本でも、犯罪被害者等の権利利益の保護を図る「犯罪被害者等基本法」の精神に基づき、同様の立法を求める声が一気に高まった。しかし、憲法第21条が保障する「表現の自由」や「出版の自由」、さらには「検閲の禁止」という厚い壁が立ちはだかる。加害者といえども言論を事前規制することは難しく、出版によって生じる金銭的利益を強制的に差し押さえる包括的な法律は、現在に至るまで成立していない。法制度の不備が、犯罪手記による「稼ぎ逃げ」を事実上容認する形となってしまっている。
文藝春秋や大手書店を巻き込んだ出版倫理の地殻変動
波紋は業界全体へ津波のように波及した。文藝春秋をはじめとする大手出版社発行の週刊誌や月刊オピニオン誌は、元少年Aの近況や出版の舞台裏を徹底的に暴き立てる調査報道を展開。言論界全体が「犯罪者の手記を商業流通に乗せるべきか否か」という泥沼の論争に突入した。
現場の書店も苦渋の決断を迫られた。紀伊國屋書店やジュンク堂書店といった大手チェーン店では、店舗ごとに対応が分かれた。「読者の知る権利と表現の自由を重んじ、平積みはせずとも注文には応じる」とする店舗がある一方で、「遺族感情への配慮と道義的責任から、一切店頭には並べない」として自主的な販売拒否に踏み切る書店が続出した。言論を支えるインフラそのものが、一冊の犯罪手記によってその足元を激しく揺さぶられた瞬間だった。
Amazon Kindleと電子書籍市場に残された「消せない足跡」
書店の店頭から紙の本が姿を消しても、デジタルの海に放たれたコンテンツを完全に消滅させることはできない。Amazon Kindleをはじめとする電子プラットフォーム上では、『絶歌』のデータは今なお購入可能な状態で漂い続けている。実店舗のような「平積み」による視覚的な拒否反応を招くことなく、ワンクリックで個人の端末に滑り込むデジタル流通は、加害者手記に永続的なキャッシュフローを与え続ける構造を確立してしまった。
紙の印刷と流通を断てば本を社会的に封殺できた時代は終わった。被害者側の苦悩が癒滅することのないまま、デジタル空間で不気味に生き続ける手記と、チャリンと音を立てて積み上がる印税。法と倫理が追いつかないデジタル出版の最前線で、あの凄惨な事件は今もなお、私たちに重苦しい問いを投げかけ続けている。 (出典: 絶歌 印税(Yahoo!ニュース))